多くの若者たちが“夢”を追い求めて訪れる街、ロサンゼルス。純粋な希望を胸に抱いた「夢追い人」の無邪気な時間を写真という一瞬に落とし込む……。写真家ポール・ジャスミンさんは、長年ファッション業界の一線で活躍、数多くのセレブリティや有名モデルを撮影してきましたが、そのレンズの先には常にストリートに向けられていました。成功を夢見る俳優の卵、旅人、詩人、そして、身近の名もない人々……。現在、千駄ヶ谷店ではポールさんの写真展「Dreamer」(夢追い人)を開催。 “L.A.サブカルチャーの50年間を撮影した人物”と称される巨匠に、これまでの波瀾に満ちた半生、そして写真にかける思いをうかがいました。
ポール・ジャスミンさんの写真展「Dreamer」(夢追い人)は、千駄ヶ谷店にて2023年1月13日(金)まで開催。貴重なオリジナルプリントも限定販売。「ロンハーマンはスタイルのキュレーター」と、今回のコラボレーションに意欲を燃やす
——まずはポールさんの生い立ちについて教えていただけますか。どんな子ども時代を送ったのでしょうか。
私はモンタナ州のヘレナという西部の小さな町で育ち、町で唯一の映画館によく足を運んでいました。そこは壮大で華麗、小さな町から逃れるための刺激的で感動的な場所でしたね。私はモンタナの空の下を、ハリウッドや遠い外国を夢見ながら映画館に通っていたました。つまり、好奇心旺盛な子どもだったんです。
——1954年、10代後半で世界に旅に出ました。
世界に対する好奇心が私を動かしたのです。本で読んだ遠い場所に、行ってみたいという気持ちがありました。高校卒業後、地元のデパートでウィンドウディスプレイの仕事をしてお金を貯めました。母は、私の夢であったパリの美術学校アカデミー・ジュリアンに通うために力添えしてくれました。私は画家になりたかったんですよ。船旅でパリに着いた途端、パリジェンヌのライフスタイルに恋をしてしまった。ビートニク詩人、プレストン・エップスのボンゴ音楽、ビーハイブヘア、黒いアイライン、ブリジット・バルドー、ジャン=ポール・ベルモンド……そういう時代です。美術学校は、フランス語が壁になって、あまり上手くいきませんでした。そこで私は、在学中にできた友人たちと、ポール・ボウルズの物語に触発されて北アフリカへ冒険の旅に出たのです。私は自他ともに認めるビートニクで、ポール・ボウルズ、ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズが憧れの的でした。旅はサハラ砂漠、ナイル川を経てエジプトのカイロ、そしてモロッコへ。旅、探検、本、アート、映画、イメージ、写真、夢想家など、後に私の世界における美学の舞台となったのです。
ポールさんが夢を追い求める若者たちにレンズを通して向ける眼差しは、どこかやさしい。かつて世界を旅したり映画俳優を目指した自分の姿が重なるのかもしれない
——写真家として活躍する以前は、映画俳優として活動していたこともあったそうですね。
私は映画が大好きでした。パリや北アフリカでの旅を経て、私はハリウッドに目を向けました。映画で観たあの華やかな世界で生きてみたい、あの世界の一員になりたいと思ったんです。太陽の光にあふれたロサンゼルス。すぐに、ここが私のホームになる、私が探していたものが見つかると思いました。夢追い人たちの街。夢を追い求める人々が集まり、より自由に生きることができると。その後、駄作映画やテレビの西部劇に何本か出演しましたが、すぐに自分には向いていないことを悟りました。キューブリックやヒッチコックの作品では声優をしましたね。ヒッチコックのスリラー映画『PSYCHO』の母親の声は私なんですよ(笑)。
——その後、ニューヨークへ移住して、イラストレーターとしても活躍。そして、写真界の巨匠ブルース・ウェーバー氏から写真家になることを勧められることに。
ハリウッドでの俳優業は自分には向かないだろうと思い、ニューヨークがどんな所か知りたかったこともあり移り住みました。いろいろな出会いがあって、イラストレーターとして働き、老舗高級百貨店の広告を手がけ、かなりの成功を収めることができました。その傍らで絵も描いていましたが。このころ、ブルース・ウェーバーと親交を深めたんです。ブルースは、今でも私の大切な友人の一人で、私に写真家になるべきだと勧めてくれました。私は絵を描く前に、インスピレーションを得るために写真を撮るのですが、ブルースはその写真を見て、とても気に入ってくれたのです。
今回の展示に合わせて、ポールさんの写真集を店内にディスプレイ。ロンハーマン カフェで手に取ることもできる。ポール・ジャスミンについてのストーリーを記したフライヤーも
——その後、雑誌や広告の世界で活躍して写真家として成功を収めます。写真家の中には撮影した被写体をすべて記憶している方もいるそうですが、ポールさんはいかがでしょうか。もっとも印象的で記憶に残るモデルはいますか。
たくさんありすぎて、全部は覚えていないと思いますよ。例えば有名人なら、アンジェリカ・ヒューストンやソフィア・コッポラ、シンディ・クロフォード、 リチャード・ギア、ジェームス・フランコ……など他にもたくさんいます。でも、それはセレブリティであって、本当の意味での私の写真とは違うのです。私の写真は、夢を追う人や学生、成長を見守ってきた友人の子ども、同じビルや近所に住む子ども、夢を持ってロサンゼルスにやってきた若いモデルや俳優たちです。何より写真に写っている人物以上に、その写真に込められている感情や思考を感じ取ってもらえたらうれしいのです。
——なるほど。写真家としての「ポール・ジャスミンらしさ」とは、自分でどのように思っていますか。
カリフォルニアの美しい光に照らされた、若々しく純粋な夢想家たち。写真を見る人が抱く共感、過ぎ去った時間、シンプルな出来事、希望に満ちていた時、魔法にかかったような時間、そして、無邪気さ、というところでしょうか。
カリフォルニアはポールさんにとって第二の故郷。自宅の壁には何百枚もの写真が所狭しと飾られている。“写真”はポールさんの人生そのもの
——ポールさんは写真家と活躍しているだけでなく、ロサンゼルスの有名な美術大学で長年教鞭をとり、門下からはソフィア・コッポラなど多くのアーティストが育っていきました。学生から定評があるそうですが、どのような教え方をするのでしょうか。
パサデナのアート・センター・カレッジ・オブ・デザインで、昨年まで25年以上にわたり、写真の教授をしていました。私の授業は伝統的なものではありません。学生たちがカメラを手にして撮影することが、教えるための最良の方法だと理解していたからです。私は、生徒が自分のユニークな世界観を画像に変換することに自信を持たせたいのです。決められたルールはありません。写真集を見たり、巨匠や現在の写真家を研究したり、ファッション写真に興味があるならファッション雑誌を見たりすることを勧めました。そこから自分のスタイル、何に興味があり、何が自身を幸せにしてくれるのかを見つけさせるために。私はクルマのトランクにたくさんの写真集を積んでいて、授業には必ず2、3冊を手にして行きました。そして、その本の写真がなぜ印象に残るのかディスカッションするのです。良い写真には物語があり、感情があり、写真の中で何かが起こっている。つまり、「ビジュアルストーリーテリング」(視覚で物語を伝えること)が重要なのです。そして実際に地元のモデルエージェンシーにモデルを依頼して、ヘアメイクをして写真撮影をするんです。それをプリントして壁に貼って、みんなでディスカッションする。これが私の授業でした。
休日は読書をしたり、愛猫ボブとともに映画専門チャンネル「ターナー・クラシック・ムービーズ」を楽しむ。だが、87歳になった今も写真への情熱は変わることはない
——それは学生にとって有意義なスタイルですね。ポールさんにとって写真とはどのような存在なのでしょうか。
一瞬を切り取ること。私の家の壁には何百枚もの写真が飾られています。その中には、私のお気に入りの写真家の作品も含まれています。この山のような絵画や写真集を見れば、写真こそが私の人生であることがわかるでしょう。これが私の世界なんです。これが私を幸せにしてくれるものです。私の扉を開けてくれた人たちと、これを分かち合うことを愛しています。
——ところで、今回のロンハーマンでの展示のタイトルのイメージはありますか。
私の作品のタイトルでは「Dreamer」(夢追い人)という言葉が好きで、よく使っています。これまでの写真集も、すべて「Dreamer」をテーマにしていますから。
——「Dreamer」ですか、素敵な響きですね。お話をうかがっていて、「Dreamer」という言葉には、ポールさんの生き方そのものが反映されているように感じました。ポールさん、貴重なお時間をありがとうございました。
今回の展示作品をフォトTシャツに。メンズ、ウィメンズともに枚数限定で、12月2日(土)から発売
■プロフィール
1935年、米国モンタナ州生まれ。世界的なファッション雑誌やハイブランドのイメージ広告を手がけてきた写真家。ロサンゼルスの有名美術大学アート・センター・カレッジ・オブ・デザインで25年にわたり写真学科の教授を務めてきた。主な作品集は『ハリウッドカーボーイ』(2002年)、『ロスト アンジェルス』(2004年)、『カリフォルニア ドリーミング』