アートは見る人の心を揺り動かし、時に日々の生活に新しい光を差し込ませてくれます。「ファッションとは愛にあふれ、刺激的で楽しく、自由であるべきだ」とは創業者ロン・ハーマンの言葉ですが、この「ファッション」というワードは「アート」に置き換えることができるでしょう。ファッションとアートと形は違いますが、その先にあるのはみんなの「スマイル」そして「幸せ」ではないでしょうか。そのような思いから、ロンハーマンは、これまで同じフィロソフィーを共有する国内外のアーティストの皆さんとともに、アート展を開催してきました。今回、紹介するのは千駄ヶ谷店、二子玉川店で写真展を開催するドリュー・ジャレットさんです。
11月19日(金)から二子玉川店で開催するドリュー・ジャレットさんの写真展『1994』。代表作の写真集『1994』から作品をキュレーションして展示。自身のキャリアで初のエキシビションとあって、「光栄だし、とてもワクワクしているよ」とドリューさん
—まずは、ドリューさんのプロフィールを教えていただけますか。どのような少年時代を送ったのでしょうか。また、ヘアスタイリストからフォトグラファーへ転身というユニークなキャリアですが、ヘアスタイリストを志した理由も教えていただけますか。
僕はごく普通の保守的なイギリスの家庭で育った。だけど、正直なところ、周りの環境はかなり厳しかった。地元の親友たちと楽しく過ごしてはいたけど、ギャングがたくさんうろついていて学校の中でも外でもケンカばかりでね。だから、早く大人にならざるを得なかった。家に余裕がなかったから、幼いころから働き始めて、11才になるまでに牛乳や新聞を配達したり、クルマの掃除をしていた。自分の服を買ったり、どこかに出かけたりするのに、お金が必要だったからね。12、13才の時に、派手なクルマを乗り回していた母の行きつけの美容師から、土曜日だけ彼の美容室で働くことを頼まれた。僕はそれを受けることにしたんだけど、楽しかったけどきつい仕事だった。何年もかけて残業してトレーニングを受けたんだ。 24歳で独立して、ファッション誌のフリーランスのヘアスタイリストになった。その後も何年か続けていたけど、雑誌広告の世界でヘアスタイリストとしてトップに上りつめた時、そのキャリアをフォトグラファーとして切り替えた。92年か93年のころだね。
—ヘアスタイリストからフォトグラファーに転向したきっかけは。
ヘアスタイリストに飽きたからさ。それなりにヘアスタイリストの世界で成功して、仕事で世界中を旅するようになっていた。だけど、92、93年ごろにはすっかり飽きてしまった。代わりに、僕の子供や家族の写真を撮ることに夢中になった。93年にはコンタクトシートを作って、プリントの勉強を始めた。それが今回のエキシビションのコンセプトになった写真集『1994』の始まりだ。
3メートルものコラージュ作品は圧巻。「基本的に『1994』には多くのコラージュが詰まっている。だから、ガラスケースの中で展示できるチャンスがあると聞いた時には、飛びついた。僕は元々こういうのを作るのが好きなんだ」。『1994』でお気に入りの一枚は? と質問すると、「どれも特別な一枚だから選ぶのは難しい」
—フォトグラファーとしてのキャリアは最初から順調でしたか。
僕は『1994』をつくると周りに見せ始めた。5冊作ってそのうちの何冊かはあげてしまったんだ。この本を持っていろんな人に会うようになると、クリエイティブディレクターやアートディレクターたちが本気で気に入ってくれた。それで『インタビューマガジン』誌のポートレートの撮影の仕事が舞い込んできたんだ。これが僕の最初の仕事だった。それからスタイリストのジェーン・ハウとコラボしたファッションストーリーが『セルフサービス』誌、『ビジョネア』誌に掲載された。いいスタートを切ったと思うけど、『1994』を本当に理解してくれた人はあまりいなかったので、写真のプリントをつくっては仕事を得るために営業しなければならなかった。それ以来、今も努力を続けているよ。
—現在もファッション撮影の一線で活躍していますが、ヘアスタイリストというキャリアは作風に影響を与えていますか。また、撮影でもっとも大切にしていることは。
個人的には、ヘアスタイリストであったことがフォトグラファーとしての自分に影響を与えているとは思わない。最初はファッションにはあまり興味がなかったので、アート系のルポルタージュ写真を撮っていた。そこからファッション写真をやってほしいと依頼されるようになったんだ。その時、ファッションというものが、感情や光、エネルギーを表現する僕のルポルタージュへとつながった。僕は常に写真のイメージを押し広げようとしているけど、それには才能あるスタイリスト、ヘアメイク、そして何よりモデルとのつながりがすべてなのさ。
1990年代初頭、若かりしスーパーモデルたちがプライベートで見せる素顔は純粋で初々しい。「写真は自分の芸術性や感情を伝えたり表現しするための素晴らしい手段」。どの作品からも、その時、その瞬間のドリューさんの思いが伝わってくる
—『1994』は撮影から出版まで24年かかっていますが、特別な理由があったのでしょうか。
『1994』をつくった時は、クリエイティブ関係者からの反応はよかったけど、それを出版するほどに理解してくれる人はあまりいなかった。僕は懸命に努力したものの、人々が僕のやり方を理解してくれるには時間がかかったんだ。
—写真集には若かりしケイト・モス、ステラ・テナントなど有名なモデルが登場します。プライベートな写真はとても新鮮です。彼女たちはやはり当時から特別な女性だったのでしょうか。
ステラもケイトもカースティン・オーウェンもミラ・ジョヴォヴィッチも、みんな超クールで楽しい女性たちだった。ああ、彼女たちの写真は今も新鮮に見えるよね。彼女たちを撮った写真を僕は永遠のものにしたかったし、そうなるよう努力したからね。
—『1994』には世界的に活躍するフォトグラファー、マリオ・ソレンティ、グレン・ルックフォードも被写体になっています。
マリオとグレンとは、僕が『1994』をつくったころ、ロンドンで一緒に暮らしていたんだ。彼らの撮影のヘアスタイリストをしながら一緒に旅をしていたので、たくさん楽しくて最高の旅行やパーティを経験した。特にマリオがベルリンで撮影をした時の旅は、グレンと3人で街中を回って撮影してクレージーな時間を過ごしたよ。
写真展では本人が編集したZINEも部数限定でリリースされる。未発表の作品など貴重な写真が目を引く
—当時のイギリスのファッションシーンは、どうでしたか。
ロンドンのファッションシーンは、いつもすごく面白くて先進的だった。若いころ、古着屋でパンクロック時代のものやニューウェーブ、そしてモッズなどの古着を買っていたのを覚えている。ロンドンはいつも個性的なファッションが人気だね。
—ドリューさんにとって、1994年とはどのような時代だったのでしょうか。写真集が出版されて、本に登場した方々の感想や反応は。
1994年は、90年代の大半がそうであったように、とてもエキサイティングな時代だった。ちょっとクレイジーすぎるパーティによく行ってたよ。この本は25、26年前に作られたものだから、友人や家族は既に見慣れていた。僕が1000部を出版するというアイデアを思い付いた時、ケイト、ミラ、ステラに、この本で写真を使っていいかを聞いたんだ。そしたら、みんな喜んでくれて、それでついに出版できることになった。
—今回のロンハーマンのエキシビションにあたりZINE(ジン 注:個人制作の冊子の総称)も限定制作していただきました。『NEVER MiND』というタイトルに込めた思いも教えてもらえますか。
基本的なコンセプトは『1994』に呼応している。未発表のクールなイメージのネガを探し始め、表紙にも本の中にもステラの写真を使いたかった。『NEVER MiND』はジンのアートディレクターであるブルックリンのアレックスが考えた。それに「ネバーマインド」という言葉は、90年代初頭に友達や家族と会話でしょっちゅう使っていたんだ。
今回、特別にドリューさんの作品をフォトTシャツに。5作品をピックアップした希少なアイテム
—今回のエキシビションでは、お客様にどのようなところに着目してもらいたいですか。
写真、コラージュ、ジンの中にある感情、光、エネルギーを見てもらいたい。1994年は僕にとって、とても特別なクレイジーな時期だった。今でも、当時の自分が知らなかったイメージが見つかる。
—ドリューさんにとって写真とはどのような存在なのでしょうか。
写真は、自分自身で写真を撮り始めるよりもずっと昔から自分の中にあった。写真は、自分自身を表現したり、自分の芸術性や感情を伝えたり表現したりするための素晴らしい手段だ。つまり僕は写真を撮ったり編集したりするのが大好きだってこと。
—将来、手がけてみたいプロジェクトは。
母や父、子供たちの写真集をもっとつくっていきたい。長年にわたってやってきた他の多くのプロジェクトも残っている。僕のパーソナルな本は既に出来上がっていて後はそれを出版するだけ。それから、短編映画、そして長編映画をどうしてもつくりたい。僕は映画、特に日本映画の大ファンなんだ。
—ロンハーマンのお客様へメッセージをお願いいたします。
写真は永遠であることを理解してほしい。それから僕の写真、コラージュ、ジンの光の中に僕が込めた感覚や感情、愛を感じていただければうれしいね。
—どうも、ありがとうございました。
現在はロンドンからニューヨークに拠点を移して活躍している。写真だけでなく映画の制作にも意欲を示す
Profile
ドリュー・ジャレット Drew Jarrett
イギリス出身。フォトグラファー。ヘアスタイリストとして活躍後、当時のルームメイトだったファッションフォトグラファーのマリオ・ソレンティとグレン・ルックフォードの影響もあり、1992年よりフォトグラファーに転身。当時プライベートで交流があったケイト・モス、ミラ・ジョボビッチ、ステラ・テナントなど世界的に著名なモデルの若かりしスナップを編集した写真集『1994』が話題を呼ぶ。現在はメゾンブランドのキャンペーンをはじめ、数多くのファッション誌のエディトリアルなど第一線で活躍している